HISTORY

歴史

山口織物鷹山堂有限会社のルーツは、CEO山口英夫の祖父 山口憲一が大正12年に設立した「山口織物有限会社」が起源となります。
「山口織物有限会社」はその後、憲一の長男浩一が二代目を引き継ぎ、三代目に浩一の長男信一へと引き継がれました。
祖業である呉服を中心に昭和後期からドビー、ジャカード織機による婦人服地の生産を手がけ、米沢織産地の一翼を担ってきました。
山口織物鷹山堂有限会社のルーツ
「株式会社織元山口」を設立。
一方、憲一の次男昌二は昭和34年に独立し後に「株式会社織元山口」を設立。 平成6年に昌二の次男英夫が代表取締役に就任。 1990年代にジャカード織機による写真織の技術を確立。 写真織による山口英夫の作品は国内外で高い評価を得て、自身の作品を核としたタペストリーや緞帳、宗教幕など特注織物制作の企業として活動してきましたが、平成22年に山口英夫が重い病を患い休業状態となりました。
「株式会社織元山口」を設立。
こうした事態を受け、平成16年に山口英夫が設立していた電子機器開発法人を改変し「有限会社フォトテックス」として、山口英夫の妻 道子が中心となり写真織の技術を応用した独自ブランド「米織小紋」を平成23年にリリース。
また同年に「米織小紋」のコンセプトショップとして「鷹山堂」をオープンし、企画・製造・販売まで一貫した現在の経営スタイルへと進化してきました。
平成28年、「鷹山堂」の名称が定着してきたことに伴い、社名を「鷹山堂」への改名を検討していた矢先、本家「山口織物」の三代目山口信一が逝去。
後継者がなく、生前従兄弟同士だった信一と英夫の間で取り交わした「山口織物」の名前を引き継ぐ約束を実行し、翌平成29年山口道子が代表取締役の就任を機に、社名を「山口織物鷹山堂有限会社」へと改名し現在に至ります。

約100年もの間、受け継がれたものは社名だけではなく、創業した山口憲一の米沢に根ざしたものづくりのスピリッツや米沢織の伝統を次世代へと繋ぐという強い想いです。

大正、昭和、平成、令和と激動の世代を超えて、「山口織物」の歴史はこれからも続きます。
山口織物鷹山堂有限会社のルーツ

TECHNIQUE

技術

技術

山口織物鷹山堂の技術は、伝統の米沢織の技術の継承はもちろん、それをベースとしてデジタル技術と融合した写真織が一番の特長です。

現在のCEO山口英夫は1990年代から電子ジャカード織機による写真織のパイオニアとして、新しい織物の研究開発を進めてきました。
写真織とは、白い生地の上にインクを塗るプリントとはまったく違い、糸と糸の織って組み合わせることによって写真を表現する織物を指します。

絵画を織る技術は数百年前からありゴブラン織などが有名ですが、従来は写真を織るには大変な時間と労力が必要でした。
それは写真を見て職人が目と手で紋紙という紙に穴を空けて、試しに織っては修正し、それを繰り返すことで写真を織物として再現していったのです。
しかし、その作業には必ず人間というフィルターが入ってしまい、如何に精密に再現しても所詮は絵の延長でしかありませんでした。

「株式会社織元山口」を設立。
1980年代にコンピュータによる紋制作を可能にした電子ジャカードという装置が開発されました。しかし、この時の電子ジャカードは紋紙をフロッピーディスクに変えただけで、人間というフィルターが入ることには変わりはありません。
山口英夫は、1988年に当時発売したばかりのApple Macintosh II を導入し、当時としては最先端の現在では当たり前になっている印刷におけるDTP(デスクトップパブリッシング)の技術を織物に応用することで画像を人間のフィルターを通さずに織る技術を開発しました。
「株式会社織元山口」を設立。
それは、織機をパソコンのプリンタに見たてて、パソコンからプリントアウトすると織物が織れるという画期的な技術(弊社特許技術:特許第229496号)でした。
これによって人間は紋データの制作から解放され、非常に短時間で、1枚だけの織物を作ることが可能になりました。
その後、モノクロの織物しか作れなかったが、最低5色の糸によりフルカラーの織物を織ることが可能な技術(弊社特許技術:特許第2860616号)を開発。
写真は写真の、絵画は絵画のクオリティで織物を作ることが出来るようになりました。

技術

その後も開発は続きます。
デジタル技術が進歩していくにしたがって、巨大な柄を織る技術や、より多色を使って原画に忠実に、緻密で精細な織物を織る技術など、現在の緞帳やタペストリーに活かされる技術を開発してきました。

それらの技術で織られた織物はPHOTOTEX(フォトテックス、登録商標)と名付けられ、平成20年には第2回ものづくり日本大賞(経済産業大臣賞)を受賞。日本が世界に誇る織りの技術になっています。
現在ではデジタルカメラやスマホ等が普及し、写真織も以前程、先端の技術ではなくなってきました。
しかし、そのような状況の中でも山口英夫が作る織物が世界の美術館や一流の寺院・神殿、王室やVIPの方々に重用される理由は、研究開発を含めた織物を創る姿勢に共感していただき、単なる織物ではなく芸術品としての高い評価をいただいている結果なのだと考えています。

CREATIVE

製品・ブランド

技術

写真織で培ったデジタルジャカードの技術は、現代表 山口道子の監修のもと、地模様に裁断線までも入れ込んだ織りの紋データを作成し製織することにより、用尺ロス の無い企画や小ロット多品種の製品開発に活かされ、かつて織物を作る「機屋(はたや)」 から、自分たちの手で素材を生み出し、縫製し、生産する一貫したメーカーへ転身してきました。

弊社は、米沢ではめずらしい綿の経(タテ)糸にあえて綿の太番手を緯(ヨコ)糸に組合せることで、キャンバスのようなカジュアルな綿100%のジャカード生地を生産し、その生地感は様々な年代に親しまれる表情を持ち、江戸時代から続く伝統織物の特性を活かしたブランド「米織小紋」をはじめとする、独自の世界観の各ブランドに活かされています。

さらに、あえて呉服ではなく、雑貨・小物をラインナップしたショップにカフェを併設した「鷹山堂 Fabric & Coffee」のショッププロジェクトを経て、 かつての伝統織物の世界をユーザー目線でリノベーションしてきました。

常に私たちは、現代のライフスタイルに合う米沢織の製品開発を心がけ、その可能性と世界観へのポリシーを大事に、日本の伝統織物を次世代につなぐ企業を目指します。

PLANNING

企画

「株式会社織元山口」を設立。
山口織物鷹山堂は、「Yoneori in the life(米沢織を生活に)」をテーマとした直営のコンセプトショップ『鷹山堂』とポップアップショップ『Y.studio』を運営しています。
「株式会社織元山口」を設立。
『鷹山堂 Fabric & coffee』は米沢市の赤芝という山の麓にあります。
築100年の古民家を昭和の織物工場解体で出た材料でリノベーションした店舗では、自社ブランドの『米織小紋』や『WEAVE of EDEN』などを販売するショップと、敷地内にあるこれも築100年の蔵で自家焙煎したコーヒーを堪能できるコーヒースタンドが併設させており、どこか懐かしくてそれでいて新しい空間に仕上がっています。
「株式会社織元山口」を設立。
『Y.studio MARKET』は常設ではない期間限定の売り場を専門とした山口織物鷹山堂の製品を中心に山形・米沢の優れたものづくりの商品を集めたポップアップショップのブランドです。
地元で生産される工芸品の中からその季節にあったアイテムをセレクトし、山形県内の観光地や首都圏の駅ビルなどを中心に出展しています。